2025年3月12日早朝、私は名瀬から徳之島へ向かう定期船の中にいました。徳之島徳洲会病院での診療応援のためです。徳之島の最高峰である井之川岳が見え、その麓から太平洋側に広がる平地の縁に亀徳・亀津の建物を確認すると、その手前には2025年10月オープンの新徳之島徳洲会病院が目に入ってきました。海から眺めたその姿はリゾートホテルを想像させ、この島の病院となる建物としては似つかわしくないほど大きく輝いていました。この不釣り合いとも思える病院が何故に新たに立ち上がったのか、原動力を考えずにはいられませんでした。
38年前、開院半年の真新しい徳之島徳洲会病院で研修医生活をスタートした私には、その後の遠い将来に建て替えが行われるとは想像できませんでした。「こんな想像を超えた病院は、島では最初で最後だろう」との思いだったのです。が、かつて奇跡と称された現病院を、さらに凌ぐかと思われる新病院建設が再び計画され、今その完成が間近なのです。これを成し得る力は何なのか?私は、ある人物の強い思いがそうさせているとしか思いつきませんでした。
「行いは思いの花、喜び悲しみはその果実」との言葉があります。39年を経て姿をあらわそうとしている新病院は、徳田虎雄先生とその思いを受け継ぐ徳洲会職員の思いの花にあてはまります。夢、希望、ロマンを追い求めた徳田虎雄先生。「希望とは、達成困難だが達成可能な未来の善である」と説明した哲人がいます。普通に島に育った者にとって、39年前の徳之島徳洲会病院建設は全く想像することさえできない達成不可能な出来事でした。が、先生にとっては達成可能な未来の善だったのでしょう。徳田虎雄先生の思いを知る多くの仲間がその思いを受け継ぎ、再びその果実を実らせようとしています。
3年前より、週1回ですが徳之島徳洲会病院での診療をする機会を再びいただいています。私のような黄昏時の医師が応援しなければならない運営状況は今以て厳しく、39年経っても変わってはいないようでもあります。この現実は、徳之島徳洲会病院が徳洲会グループの象徴的病院であり続けなければならない宿命を背負っているかのようにも思えます。世界に恵まれない僻地離島があるかぎり、決して先にゴールへ到達しては行けないような運命を背負わされているようにも思えてしまうのです。それでも、達成困難な状況は変わらないとは言え未来の善に向かっての思いを忘れることがなければ、「いつでも、どこでも、誰にも最善の医療の提供する」目標は達成し続けられるのかもしれません。
2025.7.18 名瀬徳洲会病院 総長 松浦甲彰